校友紹介コーナー~第4回、竹野篤一さん(昭和29年商学部卒)2016.12.03(土)

Posted by on 4月 22, 2015 in 未分類
校友紹介コーナー~第4回、竹野篤一さん(昭和29年商学部卒)2016.12.03(土)
大阪商船ビルの1階喫茶室

大阪商船ビル(門司港レトロ)

 久々の「校友紹介コーナー」です。
第4回目となります今回は、門司区にお住いの竹野篤一さん(昭和29年商学部卒)にご登場いただきました。10月に開催の「北九州 同志社の集い」でお会いした際に、校友紹介コーナーへのご寄稿をお願いしたところ、快く引き受けてくださいました。誠に有難うございます。
 竹野さんは11月5日に福岡で開催された「熊本地震被災地復興支援の集い」の同志社グリークラブ・コンサートへ参加されており、そのグリークラブとの昭和25年の出会い、そして竹野さん自身が一番好きな「同志社 大学歌」への想いを語っていただきました。

 

【 同志社グリークラブ 】

 11月初旬、同志社校友会福岡支部主催による、同志社グリークラブの熊本地震チャリティー演奏会があり早速聴きに行きました。当日のグリークラブは20数名の小編成とはいえ、久しぶりに聴く力感あふれる凛とした歌声に酔いしれる一刻でした。
プログラムはいきなり「カレッジソング」に始まり「大学歌」、「逍遙歌」、「寒梅の詩」、「若草萌えて」、とまさに同志社ソングのオンパレード。
なかんずく小生の最も好きな「大学歌」は、旋律・歌詞ともに素晴らしく、久しぶりに生の演奏にふれ、おもわず涙するほどの感動を覚えました。カレッジソングにくらべ殆ど聴く機会に恵まれないのが残念でなりません。

 そもそも小生とグリークラブとの出会いは昭和25年の同志社大学入学式のおりでした。
戦後間もない未だ荒涼たる世情の時代、九州から出てきた田舎の高校生にとって、それまで見たことも聴いたこともない「合唱」は人生初の「文化」の体験といってもよく、とくになぜか「大学歌」の印象が強烈でその時の情景は85歳の今日まで鮮明に覚えています。

 数年前に亡くなった同級生の畏友中西康介君は、葬儀の折り自らの葬送曲に「同志社大学歌」を選びBGMとして静かにながしていました。彼も小生と同じ想いをこの曲に抱いていたのかと、感慨ひとしおでした。

 実は小生この演奏会の一週間後に母校での『ホームカミングデー』に参加の予定で、前日のラグビー対関大戦観戦とあわせ大いに楽しみにしていましたが、好事魔多し、福岡からの帰宅翌日から異常な疲労感と激しい下痢に襲われ寝込んでしまいました。
ということで家内などの猛反対もあり、とうとう京都行きは中止、誠に残念至極。後で判ったことですが両日とも絶好の快晴秋日和だっただけに余計に切歯扼腕でした。
 これからも同志社の行事には年齢に負けず参加の覚悟、よろしくお願い致します。

2016年11月    昭和29年商学部卒  竹野 篤一

 

%e7%ab%b9%e9%87%8e%e3%81%95%e3%82%93%ef%bc%92

旧 出光美術館(門司港レトロ)

 竹野さんに遅れることちょうど30年、昭和55年に入学した私(HP記者)にとって竹野さんは父親と同じ世代です。竹野さんからの寄稿文を拝見し、余談ですが・・・、自分の父親は二十歳前の当時「何をし、どんなことを思っていたのだろうか」と深くしみじみと考えさせられた次第です。

 竹野さんのご自宅は「門司港レトロ地区」に近いようで、ホームページの記事にアップします写真をお願いしたところ、「大阪商船ビル1階の喫茶室」と「旧 出光美術館 門司」で撮影されたものをご提供いただきました。
ちょうど、出光興産創業者の出光佐三をモデルとした「海賊とよばれた男」が話題となっており、「出光美術館」などは観光スポットとして人気を得る可能性が高いと思われます。
 また、竹野さんの人生歌ともいうべき「同志社大学歌」がYou Tubeで紹介されておりましたので貼り付けております。校友の皆さま、ぜひお聴き下さい。 同志社大学歌 ♪
竹野さんには、短期間のうちに寄稿文を作成いただき深く感謝しております。誠に有難うございました。